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詩をかいていた

母は文章を書くのが好きで、全国で手記を書いて同人誌を出版する団体に属している。私と父を題材にした手記なんかも本にしている。対して私は昔から文章を書くのが苦手で、読書感想文や作文はからきしだし、今でも順序だてて文章を書くのは決して得意ではない。ただ、幼稚園の頃から母の薦めで同じ同人誌に私も何度か文を載せたことがある。それが詩だった。

幼い頃は、自分が読んでいるのが、小説だろうが詩だろうが手記だろうが歌詞だろうが、あまり差がなかったように思う。当時の私が無意識に書いたものは、大人の分類するところの詩だったんだろう。それから小学校を卒業するくらいまで、何度か詩を掲載してもらった。それ以外にも、夏休みを利用した林間学校なんかで書いて、何か賞をもらったこともあった。

けれどいつからか詩を書かなくなった。最近なぜだかそんなことが気になっている。どうして書かないんだろう。きっと、たぶん、書かなくなったのは、恥ずかしさや否定を怖がっているからなんだと思う。

自己表現というのは、どうしてこうも怖いんだろう。

私は美術大学に入るために2年浪人した。毎日デッサンを描き、表現を考えて、泣いたり落ち込んだり笑ったり凹んだりした。その結果気づいたことは、自分が作ったものは、自分を映す鏡だということだ。性格や考えがそこには必ず投影される。表現されたものは、その人自身なのだ。

ただ、美術は文章ほど否定はされづらいから、私はデザイナーをやれているんだと思う。(デザインと自己表現美術は別物だけど、ひとまずそれは別の話として。)美術はある程度の技術さえあれば、言い方は悪いが、素人には十分に見える。言葉は違う。拙さや誤りがあればほとんどの人がわかるし、揚げ足をとりやすい。言葉は否定されやすいんだ。

だから、詩を書くのを、それを発表するのを、無意識に恐れてしまっているのかもしれない。たった一人で静かにノートに書くだけでは表現の行く先がなくて満足がいかないし、かといってワールドワイドウェブに載せて顔も名前も性別も国籍も知らない赤の他人に否定されることで落ち込んだりしたくない。仕事じゃないんだから。

でもまあ、ワールドワイドウェブもいろいろだもんな。

何もpixivやはてぶみたいな評価前提!というサービスで戦う必要はない。WWWの端っこで、静かに投稿するのがもしかするとちょうどいいのかもしれない。もし似たような理由で自己表現を恐れている人がいるとしたら、サイトを持つといいよね。pixivじゃなくてイラストサイト作ればいいし、ブログだってレンタルじゃなくて作ったっていいんだし。SNS兼用サービスにこだわることない。自己表現はこわいんだ。それでいいんだ。と、自分に言い聞かせてみる。